

私には3人の子どもがいます。
離婚後にバツイチの方との子どもを授かりましたが、未婚で産むことを決意し出産しました。
43歳で出産した3人目の子はアレルギーが酷く、保育園での受け入れが難しいと判断されました。
毎晩泣き叫ぶ我が子を抱っこしながら…「子どもを3人育てていかないといけないのに働けないなんて、この先どうなるんのだろう」という不安や、働けない恐怖がどんなに苦しいかを身をもって経験しました。
後に、幸い受け入れて下さる保育園が見つかりました。
それから介護施設での仕事が見つかり、勤務しだしましたが、人手不足が原因で廃業、職場がなくなってしまいました。
ちょうどその頃から、一人暮らしをしていた母の「認知症」の症状が進み出したのです。
認知症の親を介護した方ならわかるかと思うのですが…。
寒いので部屋を暖かくしたい中で、母は扇風機の電源を入れ風に当たったり、エアコン(クーラー)の操作もよく分からなくなりました。
お仏壇に御線香ではなく、パンを刺し込んでいたり、お金の桁数等の感覚も分からなくなったので、驚くほどの額の買物を重ねてしまっていたり、用意したご飯を食べず、何でもかんでも庭に捨ててしまったり、財布やリモコン等、必要な物をどこかに捨ててしまったのか、物はどんどん紛失していき、カップラーメンすら、どう食べて良いのかも分からない状態でした。
一日に何十回も携帯から連絡をしてきていた日々が続いていましたが、そのうち携帯電話の使い方も忘れてしまい、台所の流しに携帯電話を突っ込んでいる事もありました。
どこかへふらふらと行ってしまう行動を取り出したので、GPS付の靴を購入したのですが、靴を履かず外出するので無意味でした。
お風呂やトイレの使い方も分からなくなった頃には、トイレ一面が汚れていた日も度々…。
【真冬のある日の出来事です】
「靴下でフラフラと車道を渡って行かれたよ」とご近所の方から教えていただきました。
「直子ちゃん、お母さんが家の入り方がわからず、私の家にいてもらってます」と、別の方から連絡が…。
「早く役所や地域包括センターに相談した方が良いよ」と親切におっしゃってくださる方も…。
病弱な子どもの子育てをしながら、認知症の母の介護(食事、トイレ、入浴などの介助等)をする日々は想像以上のハードさで、ココから飛び降りた方が楽になるのかなぁと、マンションの上でボーっと考えてしまったこともありました。
母の介護と子育てで、もうどうしようと悩む毎日の中、友人からも度々聞いていた『子ども食堂』に行ってみる決断をしました。
それはお金もなく空腹が続き、これ以上は耐えれないと思ったタイミングでした。
そこは、まるで自分たちを家族のように迎えてくれ、そして美味しい温かい心のこもった食事を私と子どもに与えてくださいました。
人の暖かさ優しさというものを知り、心の底から癒され、そして何より、再び子ども達の為に生きていこうという勇気が湧いたのです。
その後、運良く母の介護施設入所も決まり、そして子育てをしながら、しっかりと外で働ける時間を得ることが出来ました。
幸い母子手当を毎月支給いただいており、ひとり親家庭への制度も活用させていただけているため、私たち親子はなんとか生きることができています。本当にありがたいことだと思っています。
そして、認知症の身内を預かり介護をしてくださる施設やそこで働く方々がいて、こんな自分を雇ってくださる働き先もあるということがどんなに有難い事かと自身の経験を通し、感謝しかありません。